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宝厳院。臨済宗大本山天龍寺の塔頭。山号は大亀山。寛正2年(1461年)室町幕府の管領であった細川頼之公の財をもって、天龍寺開山夢窓国師より三世の法孫にあたる聖仲永光禅師を開山に迎え創建。
庭園は天龍寺開山夢窓国師の法孫である策彦禅師の作とされ、嵐山を巧みに取り入れた回遊式山水庭園「獅子吼」とは「仏が説法する」の意味で、庭園内を散策し、鳥の声、風の音を聴くことによって人生の真理、正道を肌で感じることができるとされます。これを「無言の説法」と言います。
今秋、至高の紅葉かと感じました。
二尊院。嵯峨小倉にある本尊に釈迦・阿弥陀の二如来(重文)を奉る平安時代に建立された天台宗のお寺、正式名は二尊教院華台寺。承和年間(834-48)慈覚大師円仁が開基。応仁・文明の乱のあと法然の弟子湛空が再興。総門は伏見城の遺構と伝える薬医門。広い参道は「紅葉の馬場」と呼ばれています。
このお寺には、西行法師の庵の跡があります。西行法師は、出家後は諸国を行脚して全国各地の風光明媚な自然を愛でて詠んだ和歌が多い歌人。
「 我がものと 秋の梢を思うかな 小倉の里に 家居せしより 」
小倉山の麓に庵を構え、自然の中で和歌を愛でていたことが想像できます。これから、日を追うごとに、鶯の声が上手くなってきます。
愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)。天台宗延暦寺派。嵯峨一之鳥居の北、清滝トンネルの手前にあるのが愛宕念仏寺。愛宕は“あたご”でなく“おたぎ”と読みます。愛宕念仏寺の入り口に鎌倉時代に造られたとされる阿・吽の仁王像が奉られた朱塗りの仁王門(江戸時代中期の建物)があります。
この門をくぐると羅漢の石仏が参拝者を迎えるかのように、並んでいます。この羅漢は昭和56年に行われた解体復元修理の際に、寺の興隆を祈願して境内を羅漢石仏で並べたのが始まりで、現在その数は約1200体。
きっと自分や家族、あるいは会社のほとけの上司さんなどに似た羅漢さんも不思議と見つかりますよ。
名勝嵐山にあり竹トネンルの道にある竹垣の整備が行われていました。外国人の方もその技を習得するため、熱心に作業に従事していたようです。
京都の竹垣といえば、京の町屋にある犬矢来(いぬやらい)、家の外壁の裾を雨水の跳ね返りなどから防ぐ目的の垣根や光悦寺の『光悦垣』が有名ですが、最近で祇園祭の際、封鎖道路を突破する車両を防ぐための鉄のフェンスを隠す竹で作った柵も登場しています。
自然にも優しい竹をもっと京の暮らしに役立て見たいものです。
ところで嵐山には、周恩来が日本留学時に京都の嵐山で失意のうちに作った「雨中嵐山」の詩を刻んだ石碑があります。日中友好のシンボルで、中国要人が関西を訪問した際もここを訪づれます。碑文は当時の中日友好協会会長が、日中友好条約締結時の1978年に揮毫したもの。でも、両国間で何か起きるとこの石碑に赤ペンキがかけられた愚かな出来事が発生しています。
中国政府や中国人民の暴力的な行動・言動はけっして正当化できるものではありません。しかし、隣国、出来れば過去の歴史を繰り返さないためにも一定の距離を保ちつつ、継続的な交流は図りたいものです。経済至上主義やにわか愛国心ではなく、文化や伝統を通じた心の交流が一番重要かもしれません。
たぶん、まだ竹の文化が残る中国と日本の交流に期待したい。