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宇治・平等院の晩秋

お手元の10円玉の裏?をちょっと見て下さい。描かれているのは、ご存知、平等院鳳凰堂です。修学旅行には必ず見学する場所です。覚えていますか。
風光明媚な宇治で、藤原一族の栄華を今に伝える平等院は、宇治川の西岸にあった源融の別荘を藤原道長が譲り受け、その子頼通が寺に改めたものが成り立ちとなっています。 
見所は鳳凰を屋上に戴く鳳凰堂(国宝)。そして、鳳凰堂の前にある庭園。紅葉に染まった中、ゆっくりと池のまわりを散策するのもいいです。

(京都認定試験)
今年の出願人数が発表されましたね。今年も1万人の大台を確保したとのことです。誰が一番、ほっこりしているんでしょうか。

○前回の答え
1.京の三大門は?
・南禅寺三門
・知恩院三門
・東本願寺御影堂門

2.京の五重塔は?
・東寺(教王護国寺)の五重塔
・醍醐寺の五重塔←一番古い
・仁和寺の五重塔←一番新しい
・法観寺の五重塔(八坂の塔)
・海住山寺(加茂町)の五重塔←府下

3.時代祭はどの時代の行列?
 延暦から明治に至る千余年の風俗を模した行列

4.この日に行われる京の三大奇祭の一つは?
 鞍馬の火祭り(ちなみに後の二つは、「やすらい祭り」と「牛祭り」)。

5.京都五山は?
 第一天寺、第二相国寺、第三建仁寺、第四東福寺、第五万寿寺

6.五山の宗派は?
 臨済宗

7.五山之上とは?
 南禅寺

8.三千家は?
 表千家、裏千家、武者小路千家

9.茶道四家の四番目は?
 薮内家 

10.南北朝時代の京のお茶所は?
 栂尾

今回のクイズ
11.応仁の乱の西軍の大将は?
12.歓喜桜で有名な西陣にあるお寺は?
13.夏越祓に食するお菓子は?
14.上賀茂神社の名物菓子は?
15.日本最初の有料橋は?
16.三珍鳥居は?
17.千本鳥居はどこに?
18.蚕の社の正式名は?
19.朱雀大路は今の何通りにほぼ位置しますか?
20.朱雀大路の北に位置する山は?


DAIYA * 洛南エリア * 09:05 * comments(0) * trackbacks(3) * pookmark

勧修寺の晩秋

勧修寺は亀甲山と号する真言宗山階派の大本山。その読みは「かじゅうじ」、でも地名が「かんしゅうじ」と名乗ることもあり、京都では「かんしゅうじ」の方が通じやすいでしょうか。
昌泰3年(900)、醍醐天皇が母・藤原胤子(いんし)の菩提を弔うために胤子の祖父にあたる宮道弥益の私邸を寺としたのがその始まりです。藤原氏庇護のもと、代々の法皇、親王が入寺し門跡寺院として栄えてきました。
境内には平屋建てのこぢんまりした建物であり、塔として観音堂があります。氷室池の畔の芝生の庭園に建ち、空の広がりが感じ取れます。

ところで、来月10日(日)は恒例となりました「京都認定試験」(3回目)が開催されます。今年も皆様方のご好評にお答えして、クイズを出しましょう。

1.京の三大門は?
2.京の五重塔は?
3.時代祭はどの時代の行列?
4.この日に行われる京の三大奇祭の一つは?
5.京都五山は?
6.五山の宗派は?
7.五山之上とは?
8.三千家は?
9.茶道四家の四番目は?
10.南北朝時代の京のお茶所は?

(答えは次回のプログで)
DAIYA * 洛南エリア * 11:20 * comments(0) * trackbacks(0) * pookmark

大日堂の晩秋

将軍塚大日堂。天台宗三門跡の一つ、青蓮院の山中にある飛び地境内。平安遷都の際に桓武天皇が都安泰を願い、将軍「和気清麻呂」の弓引きの像に甲冑を着せ埋めたとされる将軍塚があります。紅葉もきれいですが、将軍塚大日堂の展望台より夜景も見事です。12月3日(日)の17:00頃(日没) 〜21:30(21:00受付終了)まで、夜景を堪能できます。暖かくして、ご観賞ください。

DAIYA * 洛東エリア * 14:52 * comments(0) * trackbacks(0) * pookmark

門跡寺院・青蓮院の晩秋

青蓮院は天台宗三門跡寺院の一つ。もともと比叡山にあった僧坊・青蓮坊を平安初期に御所に準じて建立したのが門跡寺院としての青蓮院の始まりです。
青蓮院は女性の気品が感じられるお寺の一つでもあります。さりげないお庭の紅葉が好評です。
DAIYA * 洛央エリア * 14:36 * comments(0) * trackbacks(0) * pookmark

岩倉の里・実相院の晩秋

実相院は元天台宗の寺門派の単立寺院。天台宗は平安時代に、寺門派(智証・密教系)と山門派(慈覚・浄土系)の2つに分かれ、それ以後、2派は激しく対立し続けた歴史があります。
実相院は昔から門跡寺院で、岩倉門跡とか、岩倉御殿とも呼ばれています。 門跡寺院とはその寺院の住職を天皇家の血を引く方々が務められていた格式の高い寺院で、代々皇室から大きな支援を受けて栄えていました。
特に、室町時代から江戸時代にかけては、天台宗寺門派では数少ない門跡寺院の随一とされていました。寛喜元年(1229年)のことで、そのころは北区の紫野にありました。その後、京都御所の近くに移り、ここ岩倉に移ったのは応仁の乱の戦火を逃れるためであったと言われています。

実相院は、狩野派の画家たちの描いた襖絵等がたくさんあり、 普通では見られない素晴らしい作品が襖や戸、障壁画として使われていますので、是非、ご観賞ください。
もう1つ見所があります。お部屋の板の間に写る「床紅葉」「床緑」と愛称のついた黒光りする床です。今の時期、紅葉が映えて写ります。正午頃が一番美しくご覧いただけます。
DAIYA * 洛北エリア * 11:56 * comments(0) * trackbacks(0) * pookmark

鷹ケ峯・常照寺の晩秋

常照寺は日乾上人に帰依した吉野太夫ゆかりの寺。「吉野の赤門」と呼ばれる「吉野門」は寛永5年(1628)、遊女としての最上位にあった吉野太夫(23歳の時)が、私財を投じて寄進したもの。教養が高く、和歌、連歌、俳句、書、茶道、華道、音曲、囲碁、双六など諸芸に優れていただけでなく、その美貌は遠く唐(中国)にまで伝わっていたといいます。
当時の上流社会の社交場の花であった太夫は、京の豪商で文化人でもあった灰屋(佐野)紹益に見初められ、身請けしようとした紹益の親に猛反対にあったものの、太夫に会った親は、身請けを許しを得たエピソードもあります。この二人のロマンスは、歌舞伎などでも演じられ有名です。
吉野は38歳という若さで病死しましたが、若き頃から日乾上人に帰依し、生前には山門を寄進した縁もあり、この寺に葬られています。


DAIYA * 洛北エリア * 10:59 * comments(0) * trackbacks(0) * pookmark

泉涌寺の晩秋

弘法大師空海が「法輪寺」という小寺を建てたものを健保6年(1218)宋より帰朝した月輪大師が台・密・禅・浄の四宗兼学の道場として興したのが始まりです。その時、境内より清泉が湧き出したので、「泉涌寺」と改名されたとのこと。古くから皇室の帰依が厚く、「みてら」とも呼ばれています。境内には、後水尾天皇以降14代にわたる天皇陵を含めて、25陵もの陵墓が鎮まっています。大門の正面にある仏殿は、徳川家綱が再建したもので、運慶作と伝える釈迦・弥陀・弥勒の三尊が安置され、天井には狩野探幽の壁画が残されています。

このあたり一帯は東福寺とともに紅葉スポットですが、広大な敷地を持つ泉涌寺が一番美しい季節は、雪がしんしんと降る雪の風景です
DAIYA * 洛南エリア * 22:31 * comments(0) * trackbacks(0) * pookmark

滋賀・金剛輪寺の晩秋

湖東三山の一つで、奈良時代に聖武(しょうむ)天皇の勅願により行基が開山した天台宗の寺院。本尊は行基の作と伝えられます。山門から本堂までサツキに囲まれた石段が続き、山岳城郭であったころの趣を今なお残しています。石段を登りつめたところに、当時の僧の機智により織田信長の焼き打ちによる焼失の難を免れた本堂大悲閣、三重塔、二天門があります。
DAIYA * 湖東エリア * 22:17 * comments(0) * trackbacks(1) * pookmark

滋賀・永源寺の晩秋

滋賀県愛知(えち)川右岸にある臨済宗永源寺派の総本山。鎌倉時代、寂室元光和尚(じゃくしつげんこうおしょう)が伽藍(がらん)を建立したのが始まりといわれています。渓谷の両岸をはじめ、参道一帯にはモミジ・カエデが多く、秋の紅葉期には多くの観光客で賑わいます。総門をくぐると、左手の少し登った所に井伊家の墓もあります。
紅葉の美しさでは、今年の一番の紅葉スポットです。
また、こんにゃく料理でも有名で、開山堂の近くに松尾芭蕉が詠った「こんにゃくのさしみもすこし梅の花 はせを」の句碑も立っています。
DAIYA * 湖東エリア * 22:08 * comments(0) * trackbacks(0) * pookmark

岩戸落葉神社の晩秋

岩戸落葉神社は、今から千有余年前、延喜式神名帳所載の大社でした。祭神は小野朝臣、落葉姫。
市内から周山街道を北へ行けば、清滝川の源流近く、岩谷川が合流する場所にあります。北山杉の中川にも近い小野郷の里(北区)です。社殿の裏には、大きな岩山が覆いかぶさるようにそそり立っています。「岩戸神社」の由来とも言われています。「落葉」は、イチョウの紅葉から命名されたものではなく、皇室ゆかりのあったと云われる落葉姫から名づけられたとも言われています。この山深い里に、かつて高貴な姫が隠棲していただけでも歴史ロマンを感じます。
実際はかつての「堕(おち)川神社」が、いつからか「落葉(おちば)神社」と呼ばれるようになったと云われています。

今日は境内の夜間ライトアップが行われます。樹高20メートルを超えるイチョウの黄色がより映えるでしょうね。
DAIYA * 京北エリア * 16:22 * comments(1) * trackbacks(2) * pookmark
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