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東本願寺の晩秋


東本願寺。浄土真宗「真宗大谷派」の本山。宗祖・親鸞。阿弥陀堂にはご本尊の阿弥陀如来が安置。 渉成園も東本願寺の飛び地。烏丸通りに面した門は道行く人々の足を止め、次々と足を運ばせています。お東さんの愛称で慕われています。

現在、阿弥陀堂の瓦のふき替えを行っています。1895年の阿弥陀堂再建以来、瓦のふき替えは初めてとなります。約1年かけて寄進者の記名瓦を含む全10万8000枚を据え付け、2015年末には内装などの工事も終える予定となっています。
瓦への記名は京都を代表する企業の一つ、大日本スクリーン製造(株)のインクジェット技術が一役買っているそうです。親鸞上人もさぞかし、驚いているか、あるいは嘆いているのかもしれません。
DAIYA * 洛央エリア * 12:53 * comments(0) * trackbacks(0) * pookmark

智積院の晩秋


智積院。真言宗智山派総本山。南北朝のころ創建された紀州根来山の学頭寺院が始まり。1585年(天正13)兵火に遭い、京都に移し、大坂城落城後、豊臣秀吉の愛児鶴松の菩提を弔うために建立した祥雲禅寺の寺領を徳川家康が寄進、五百佛山根来寺智積院と改める。仏教研学の道場として栄えたお寺。明治に焼けた金堂は1975年に復興。江戸初期を代表する池泉廻遊式庭園は、中国の廬山を形どったといわれ、収蔵庫には、長谷川等伯一派による桜・楓図(国宝)など極彩色の障壁画を展示。

ここのお寺はいつ訪づれても庭木が整備され、凛とした佇まいがあります。
DAIYA * 洛南エリア * 12:35 * comments(0) * trackbacks(0) * pookmark

黄梅院の晩秋


黄梅院。千利休作庭の池泉式枯山水庭園をもつ大徳寺の塔頭。織田信長が28歳で入洛した永禄5年(1562)、父・信秀の追善菩提のために春林宗俶和尚(大徳寺第92世住持)を開祖として建てた庵が始まり。信長は本能寺の変の後、当地に密葬、その後、秀吉は主君の塔所としては寺領が小さいとし、山内の別のところに「総見院」を建立し移し信長の菩提所としている。寺名の総見院は信長の法名。
その後、小早川隆景が開基となり毛利輝元はじめ歴代が檀越として天正14年(1586)本堂を造営、隆景の死後、隆景の法名をとり黄梅院に改称。
本堂南側の枯山水庭園「破頭庭」は、手前半分に白砂が敷かれ、奥半分は一面を苔で覆われた中に二つの石が配置されています。一方、大書院南側の庭園「直中庭」は、秀吉の希望により千利休が作庭したと伝えられている枯山水庭。中央に石橋が架かっている瓢箪型の枯池。また、加藤清正が朝鮮から持ち帰ったとされる朝鮮灯籠が左側に配置されています。

松が主体の大徳寺にあって紅葉が楽しめるお寺です。通常非公開ですが、毎年春秋に特別公開されます。
DAIYA * 洛北エリア * 12:23 * comments(0) * trackbacks(0) * pookmark

金閣寺の晩秋


金閣寺。正式名称を鹿苑寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つ。建物の内外に金箔を貼った3層の楼閣建築である舎利殿は金閣。舎利殿を含めた寺院全体が金閣寺として知られています。
寺名は開基は室町幕府3代将軍足利義満。その法号・鹿苑院殿にちなみ、山号は北山(ほくざん)。舎利殿は室町時代前期の北山文化を代表する建築でありましたが、1950年(昭和25年)に放火により焼失し、1955年(昭和30年)に再建。1994年(平成6年)にユネスコの世界遺産(文化遺産)「古都京都の文化財」に登録。

風がない日は金閣寺の南側に広がる鏡湖池に写る雄姿は、とても綺麗です。

DAIYA * 洛北エリア * 09:00 * comments(0) * trackbacks(0) * pookmark

清水寺の晩秋


清水寺。山号を音羽山。本尊は千手観音、奈良末期778年に延鎮が開山。もとは法相宗に属していましたが、現在は独立して北法相宗大本山。西国三十三所観音霊場の第16番札所。僧現在の建物の多くは、寛永8年から10年(1631年から1633年)、徳川家光の寄進によって再建されたもの。
清水の観音として平安時代以来多くの人々が参拝しているお寺。参道を上りつめると、東山の音羽山を背に仁王門、西門、三重塔(いずれも重要文化財)が迎えてくれます。
現在、清水の舞台を修復中ですが参拝には影響ありません。

今年の清水さんの紅葉は今ひとつの感があります。夏の暑さが10月中旬頃まで続いた影響でしょうか。
DAIYA * 洛央エリア * 08:50 * comments(0) * trackbacks(0) * pookmark

南禅寺天授庵の秋

天授庵。南禅寺塔頭で1339年(暦応2)光厳天皇の勅許により虎関師錬が南禅寺開山・無関普門(大明国師)の塔所として建立。その後、1602年(慶長7)細川幽斎が再興。
本堂は、優雅な柿皮葺屋根を持つ建築で、光厳帝御銘の霊光塔を復興したものです。中央に開山大明国師等身大の木像を安置し、一隅に幽斎夫妻を始め細川家歴代の位牌所があります。
本堂襖絵は長谷川等伯の筆であり、32面全てが重要文化財に指定されていますが、残念ながら非公開です。

池泉を主にした庭と枯山水と二つの庭園が有名です。
禅寺枯山水の紅葉は凛としたものです。



DAIYA * 洛東エリア * 09:01 * comments(0) * trackbacks(0) * pookmark

延暦寺根本中堂の秋



延暦寺根本中堂。最澄が788年(延暦7年)に、一乗止観院という草庵を建てたのが始まり。比叡山延暦寺の中心であることから根本中堂と呼ばれています。
平安時代に最澄と空海の仏教が栄え、平安時代末期から鎌倉時代に法然、栄西、日蓮、親鸞が続く流れを振り返るのも面白いです。
現在、地元の京都新聞に五木寛之氏の連載小説「親鸞 完結篇」が掲載されていますが、仏教が歩んできた歴史の流れを踏まえ、比叡山から京の都の下界を見下ろすと、今の俗世の時代が不思議と理解できます。
自然の中にある比叡山、法然の「草木・国土・悉皆成仏」「一切衆生・悉有仏性」と自然に囲まれ生きる日本人の美学を取り戻す胎動が見えるような気がします。


DAIYA * 比叡山エリア * 11:36 * comments(0) * trackbacks(0) * pookmark

首塚大明神の秋



首塚大明神。京都市から亀岡市へ向かう国道9号線の老ノ坂峠にある首塚大明神は、平安時代に源頼光等によって征伐された酒呑童子の首が埋められた場所として伝えられています。
噂としては、鳥居をくぐると呪われるという話や、心霊写真がよく撮れる場所としても有名で、夏の観光スポット。
祭神は、鬼王・酒呑童子(しゅてんどうじ)。
この酒呑童子は、丹波国の大江山、または京都と丹波国の国境の大枝(老の坂)に住んでいたとされる鬼の頭領で、酒が好きだったことから、部下たちからこの名で呼ばれたと云われています。
酒呑童子が葬られたという土盛りの場所もあります。

DAIYA * 洛西エリア * 19:41 * comments(0) * trackbacks(0) * pookmark

銀閣寺の秋



銀閣寺。正式名称を慈照寺(じしょうじ)。銀閣寺を創建したのは室町幕府8代将軍の足利義政で祖父である足利義満が建てた北山山荘(金閣寺)を参考に、東山文化の代表、東山山荘を造営。
東山山荘の楼閣建物を「銀閣」と呼ぶことから、寺院全体が銀閣寺と称されています。
銀閣寺を象徴する建物が銀閣と呼ばれる観音殿。さらに、方丈の前庭にある白砂の砂盛り向月台(コウゲツダイ)と、波紋を表現した銀沙灘(ギンシャダン)も見所の一つです。
銀閣の前にある錦鏡池(きんきょうち)を中心に池泉回遊式庭園が広がっていますが、回りの山の木々の紅葉は見事です。

DAIYA * 洛東エリア * 19:34 * comments(0) * trackbacks(0) * pookmark
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